学級写真の撤回には納得。でも、配慮されたいかは悩む

前の列はしゃがんで、後ろの列は台の上に立つ。年度の初めに撮る、あのクラスの集合写真の話。

ある市の小学校が、この学級写真を廃止して、保護者の声を受けて撤回した。

この撤回の決め方には、納得できる。でも、自分が少数派の側だったら、配慮される方がいいのか、配慮はない方がいいのか、なかなか悩む。

61%と22%

毎日新聞の記事によると、今年度から、同じ区の小学校2校が学級写真をやめていた。理由は個人情報やプライバシーの保護。片方の学校は、修学旅行の集合写真や運動会のスナップ写真は続けるとしていて、保護者からは「矛盾している」という声が出た。

そのうち児童約260人の学校で、PTAが保護者にアンケートを取った。学級写真の撮影・販売が必要だと「感じる」が61%、「感じない」が22%、未回答が17%。学校は廃止をやめて、また撮ることにした。

教頭先生は「それだけの声をむげにはできない」と話していて、撮影を希望しない児童には配慮する、とのこと。

もう1校は、復活を求める署名が出ても、方針を変えていないそう。

決め方には納得できる

保護者に聞いて、数字で確かめて、考え直した。決め方としては、ちゃんと筋が通ってると思う。61%と22%なら、私も納得できる。

悩むのは、そのあと。撮りたくない子の側に、自分を置いてみたとき。

配慮される方がいいのか、ない方がいいのか

配慮されると、助かる。でも、配慮された時点で、少数派だということが周りに見える。一人だけ列から外れる、一人だけ別の扱いになる。守られているはずなのに、目立つ。

配慮がなければ、目立たない。でも、そのかわり、多い方の形にそのまま入るしかない。撮りたくないのに、前の列でしゃがむことになる。

どっちにも、ちゃんと重さがある。だから、どっちがいいのか、すぐには決められない。

「配慮します」の一言では、選べない

決められないからこそ、気になったのは「配慮する」の一言の方。

配慮って、便利な言葉だと思う。言った側は何かを約束した気持ちになれるし、聞いた側も一度は安心できる。でも、中身が書かれていないと、撮りたくない子と家族は、何を選べるのかが分からない。

例えば、写らない子がいることが写真から分かるのか、分からないのか。名前の入った台紙はどうなるのか。後から一人だけ合成するのか、しないのか。それと、「特別なことはしないでほしい」という選び方も、ちゃんと選べるのか。

配慮される方がいいのか、ない方がいいのか。それを決めるのは、配慮する側じゃなくて、される側であってほしい。選べない選択肢は、選択肢じゃない。

多数決のあとに残すもの

多数決は、多い方を決める道具で、少ない方の行き先までは決めてくれない。そこは、別に書き足す必要がある。

と、ここまで書いておいて、選択肢は多い方がいいと言っている私が、選ぶ側に立ったら一番悩むタイプだった。

出典:学級写真を廃止の市立小1校が撤回(毎日新聞、Yahoo!ニュース配信、2026年11月5日)

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